住所 所 在 地:〒791-1134愛媛県松山市恵原町
別格第九番 大法山(だいほうざん) 文珠院(もんじゅいん) 徳盛寺(とくじょうじ)
本 尊:地蔵菩薩 文珠菩薩 開 基:弘法大師 宗派:真言宗醍醐派
真 言:おん、かかかび、さんまえい、そわか、おん、あらはしゃのう
御詠歌:我人を救わんための先達にみちびき給ふ衛門三郎
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荏原城の西方にあり四国遍路の 開祖衛門三郎の屋敷跡に建てら れたのが文珠院です。弘法大師 が衛門三郎の子供の供養と共に 悪因縁切の修法をしたお寺です。 境内には大きな大師像、衛門三郎 夫妻の石像が立ち、大師堂には衛 門三郎由来の図が掲げられていま す。近くに八塚(衛門三郎の子供 の墓)と八窪(鉄鉢が八つに割れて 飛んでいった八つの窪み)があります。 |
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河野衛門三郎の子供 5男3女の子供の墓が あります 是非見てください 右 写真 |
衛門三郎
伊予の国浮穴郡荏原に衛門三郎という欲深い長者が住んでいました。弘法大師がみずぼらしい格好をして訪れた時、衛門三郎は
鉄鉢を取り上げ投げつけ、鉄鉢は八つに割れてしまいました。翌日から8日間に8人の子供達が次から次へと亡くなりました。
自分の罪の深さに目覚めた衛門三郎は改心し、四国巡錫中の大師のあとを追うが巡り会うことが出来ませんでした。21回目の時、
焼山寺の麓で病に倒れ、突然枕元に弘法大師が現れ、彼の手に一寸八分の石に「衛門三郎」と彫りつけますと、衛門三郎は安心
して息を引きとりました。その後、伊予の国主河野氏に男子が生まれましたが、その子はいつまでたっても右手は握られたままで
開きません。そこでこの安養寺に願をかけましたところ、手の中から「衛門三郎」と書かれた石がでてきたのです。その石をここに納
めましたので、その後、寺号を安養寺から石手寺に改められたそうです。現在、その衛門三郎の石は大講堂の正面に安置してあり
す。 焼山寺から下山1KMの所に杖杉庵(じょうしんあん)があり衛門三郎の墓があります。
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